障がい者の方を取り巻く就労環境や支援環境について。

この頃何かとメディアでも取り沙汰されている、障がいを持つ方々の就労環境や支援事情などについて見聞きするたび、その厳しさには言葉を失ってしまいます。身体障がい、精神、知的障がいと、どの方々も障害の重篤度にかかわらず、大抵の場合苦しまれていることの共通点が多いと感じます。

「当たり前」ということを当たり前にできなくさせる症状そのものがどうしても生活的なことにかかわってくる問題だけに、一番身近な家族からのフォローが必要なときにフォローも理解も皆無か貧弱だったり、苦しんでいる現状のお話しすらも聞いてもらえないつらさを抱え、ただでさえ働きたくても働けない問題に上乗せする形で二重にも三重にも苦しみとなったり、金銭的にも私が知る限りでも相当追い詰められている方々が多く、胸を痛めます。

就労環境は障がい者雇用枠という枠組みこそハロワなどの職業斡旋所に登録上は存在するものの、事実上はその求人一本ではとても生活が成り立つだけの収入にはならず、障がい者年金などで補いつつ節約生活をしてもまだ生活費としては薄いという現状も、炙り出されてきている様子です。

私の亡き身内の一人である叔父も、障がい級が一級という重篤な症状にずっと苦しみ、とても長い闘病生活を送っていました。信じられないような若さでそのいのちを全うする形になり、闘病中に政策支援の貧弱さを何度も嘆きながらも、私の手紙やメールを救いだと云ってくれていたことを今でも忘れません。

今思えば奇跡に近いような、一緒にお出かけができたときの写真も取っておいてありますが、車椅子に座りながら写っている叔父さんのニコッとした笑顔が印象的だったのと、その旅先で絶景を一緒に見たときに「こういうところに来てこんないい景色を見ると、生きていてよかったと思う」と云っていたことも私は今でもずっと覚えています。叔父さんはそのとき本当に幸せだったのだと思います。

支援とは、単にニコニコと物腰が柔らかい対応がなされることでもなく、また、障がいと懸命に向き合いながら生き方をそれぞれに模索されているご本人から生きていく力を奪ってしまうことでもありません。生きづらさを軽んじるのは論外でしょうが、かといって本来のご本人の個性を生かした働き方や可能性を無碍にしてしまわないためにも、ハイハイと何でもかんでもその人のドアマットのように言うことを聞くことも支援とはまた違います。このあたりはとても難しい取り扱いなのではないかと感じます。

では海外の方ではどうかと思い、メディア報道を耳にしてみると、そのお国によってピンキリの様子が伺えます。日本よりずっと成熟している社会福祉もあれば、そうでない国もあります。政府は万人を救えないとは言いますが、すべての人がそれぞれにふさわしい働き方を見い出せるよう、福祉に限らず社会全体が成熟したものになるには、その社会という実体のないものに加担している私たち一人一人の成熟も関係してくると考えたとき、私も自らの在り方はどうだろうかと考えさせられるものがあります。

決して、簡単なことではないからこそ、大切なこととそうでないことをきちんと見極める目をともに養いつつ世界に希望がいつもあること、みんなが希望を見出せることを願って止みません。

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